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今日はベトナム料理。モチロンaliceは創れないので、alice家から2番目に近いと思われるベトナム料理屋へ足を向ける。外はここ数日氷っちゃいそうに寒い。日本だったら出前でおうどんとか頼むトコロだ。(ぉ?出前ってお蕎麦だけだっけ?)あぁ、コタツとかあったら良いなぁって妄想…。
今日もウサギさんと濃いぃ会話で盛り上がる。
昨日の話の続きみたいな風なんだけど、もうちょっと身近なコトで、aliceについてとか周囲の友達についてとか、そういったコト。
aliceは外に出るのが苦手。特に夜遊びは時間の無駄って感じてしまう人種なのだけど、それとは正反対の思想を持っている人がたくさんいる。
昨日していた会話の発端に戻って具体的に例を挙げて説明してみようかな。
aliceには実際に面識のある高校生のげぇむ友達、ありあ君がいる。毎年その子にクリスマスカードを送っているのだけど、今年の返事はe-mailだった。ありあ君、aliceに喜びいっぱいで「aliceの手描きの絵と文字が書いてあるカードありがとう!すごく嬉しかったよぉ。」みたいなコトが打ち込んであった。aliceはe-mailが便利で速いっていうのを知っているけれど、時々こぉして手紙を書く。郵便が好きだからなんだけどもね。で、どうやらありあ君も郵便物は嫌いじゃないらしい。けど、時勢の流れで今時のteenの彼は手紙に対して手紙で返事をするのを考えなくなってしまっているようなのだ。多分aliceはe-mailの返信よりも時間がかかるけれど、手紙で同じ事を肉筆で綴ってある方が数倍嬉しかったと思う。同じ事を言っているのに、重みが違うし、自筆の文字からはなにか魔法が感じられるのだ。
そういうのを踏まえると、今日ウサギさんと会話してた、sociableな人たちがpartyとかで人と人が出会って知り合ってっていうのは、なんだかとても重要なコトのように思えてくるのだけど、aliceにはリスクが大きすぎるように思えてしまうのだ。ひょっとするととても面白い人とか、興味の対象が一緒の人とか、同じ感性の持ち主とか、運命の人だとか、そういう人間に遭遇出来るのかもしれない。けど、反転すると会えない可能性だって大きいはずで、単にはしゃいで楽しかったで終わりなのだろうなぁって思うと、エゴイストなaliceはその時間で別のコトをしたいと思ってしまうのだ。まぁ、楽しければいいから時々はそういうのにも参加するけどね…。
反対に、sociableな人たちにとって、aliceみたいな家に籠っている人間は不思議でタイクツに観えてしまうようなんだよね。(オタクに興味津々なsociableYタンはそういうaliceに面白さを見つけたらしいので、Yタン友達にaliceのコトをお披露目したがるのだけどね。)
例えば、彼らsociableにとってげぇむっていうのは、生産性のないもので、ちまちまコントローラを動かすのが面倒らしい。げぇむfieldは無限ではなく、限られた世界の中で、自分が動かしているように思わせつつ、単にプログラム通りに動かされている、つまり操られているって捕らえたりする人もいるらしいんだ。
だけど、aliceにはげぇむは無駄にだらだら話しているよりも生産的に感じられる。aliceにとっては本とか映画なんかと同じだからね。本よりも創り込まれた世界だけど、映画よりはaliceの意志で動けて、げぇむでしか味わえない感動が確かにある。
最近のMMO事情だと、げぇむはみんなが知ってる以上にsociableでもあるから、sociableとunsociableの境界線がそろそろ変わりそうなのかもしれない。
だけど、aliceはやっぱりオウチにいるのが好きだなぁ。自分の好きなコト、好きな時に好きなだけできるし、眠たくなったらふかふかベッドまで近距離だぁ。その点、実際に出掛けて誰かとわいわいは、時と場合によって時間とか気にしないといけないし、眠たくなっても魔法のベッドは出てこない…。けど、きっと、そういう疲れても楽しかったり、終電逃して歩いて帰ったり……そういうのがきっと一番想い出に残る人生の一コマになるんだろうねぇ。


 運命は自分で切り開くもの。 
 それも、木賀峰助教授の言葉。
 でも、大抵の運命っていうのは、自分の行為とは無関係なところでくるくる車輪のように回っている歯車みたいなものだから。
 流していただいている、か。
 それもまたーー言いえて、絶妙だ。




















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